名取御湯碑(仙台市)概要: 名取御湯碑は江戸時代の仙台出身の国文学者安田光則の撰文によって元治元年(1864)に建立されたもので、秋保温泉の由来記が彫り込まれています。特に秋保温泉は古くから中央にも聞こえる名湯で、欽明天皇(509〜572)の瘡病を霊泉の効能により完治させた事から順徳天皇(1197〜1242)によって編纂された八雲御抄に三御湯として旧名称である名取御湯(他の2つは信濃御湯・犬養御湯−犬養ではなく三函湯を挙げる人もいます。)を挙げています。中世に入ると平家落人の平基盛の従者7人の1人佐藤家が秋保に土着し長く秋保温泉の湯守として維持管理を担いました。安政2年(1855)、東地方南部で発生したM6.9の地震によって被災すると源泉も枯渇、当時の湯守寿右エ門は湯殿山神社(山形県鶴岡市)に参拝し湯神社の社殿を再建すると不思議と温泉が再び湧き出したとされます。名取御湯碑は昭和62年(1987)に「みやぎ新観光名所100選」に選定されています。
御製−「覚束な雲の上まで見てしかな 鳥のみゆけば跡はかもなし」
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