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温泉寺(下呂市)概要: 温泉寺の創建には次のような伝説が残っています。文永2年(1265)、突如として下呂温泉の源泉から湧出が止まり、多くの人達が嘆き悲しんでいました。翌年、一羽の白鷺が毎日益田川の河原に降り立ち姿を見た住民の1人が不思議に思いその場所へ行ってみると、新たな源泉から温泉が湧き出ていました。白鷺は住民が温泉を発見すると満足そうに中根山の中腹へ帰って行きました。住民は白鷺に神意を感じ、中根山に探しに行くと、そこには光を放つ一体の薬師如来像が安置されていました。住民は白鷺が薬師如来の化身と悟り、薬師如来像を篤く祭ったと伝えられています。当初は湯島薬師堂と称していましたが寛文11年(1671)に改めて温泉寺として開山、その後一時衰退しますが元禄年間(1688〜1704年)に武川久右衛門倍良が再興し(旧主君、武田家の菩提寺恵林寺:山梨県甲州市と関係が深かった温泉寺を再興した。)祖金禅師(禅昌寺:下呂市)を招いて中興開山しています。その後、下呂温泉は草津温泉(群馬県草津町)、有馬温泉(兵庫県神戸市)と共に日本三名泉として広く知られるようになり温泉寺にも薬師如来の故事を聞いて多くの当時客が参拝に訪れるようになりました。現在の本堂は寛文11年(1671)に再建されたもので入母屋造(左右に増築したと思われる両翼があり一見見慣れない形式です)、桟瓦葺、平入、正面1間向拝付、柱や梁などには湯治客が温泉寺を参拝した際書き込んだ多くの落書きがあり信仰の篤さが窺えます。境内には文政7年(1824)に建立された大乗妙典塔(下呂温泉の河原源泉地の小石に経の一字を書き込み奉納した供養塔)や飛騨地方の水屋などがあります。又、武田家の旧臣で豪商として名を馳せた飛騨屋久兵衛の菩提寺でもあり「飛騨屋久兵衛の墓」は昭和32年(1957)に岐阜県指定史跡に指定されています。
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温泉寺 |
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